きょうのごはん、と元気のもと
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ほうれん草ばかりに頼ってられないので
レバーを目指して行ったら
今日にかぎって売切れ。
仕方なく、横にあったハツを買ってきました。
なんとなく、「仲間」だろ、って思って。
焼き鳥屋さんでお目にかかることはあっても
自分で調理するのはこれが初めて。
何にしよ。
あれこれ思い描いた結果、きょうは
オイスターソースで焼肉風にしてみました。

鶏ハツと厚揚げのオイスターソース焼き
小松菜の干しエビ煮びたし
椎茸のおろし和え
かぼちゃのお味噌汁
小麦粉をはたいてからフライパンに入れ
しっかりと焦げ目をつけます。
豆板醤でちょっとピリ辛。
これはなかなかイケました。

図書館へ行って、
めずらしく当てもなく本の背に目を走らせて
知らないタイトルをいくつも追って
これを全部読むことはとうていできないし
ここにあるのだってほんの一部だし
今もどんどん生産されているのだし
どうして人はこんなに本を作るのだろう
何がそんなに書きたいのだろう
そのうちいくつ読めるのだろう
で、なんだかちょっと
目眩がした。
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ずい分前にまとめ買いした鶏肉がまだ冷凍庫に。
さすがにそろそろ食べきらなくては、ということで鶏メニュー。
きょうはひと手間かけて、下味つけてから蒸してみました。
その方が少しでも柔かくなるかなって。
それに小麦粉まぶして焼き目をつけて、チリソースをじゃっ。
鶏に焼き目をつけたのは正解でした。
外のカリカリが美味しかった。


カリカリ鶏のチリソース
魚すじとほうれん草のカピ(エビペースト)炒め
えのきと大葉のおろし和え
かぼちゃとニラのお味噌汁
最近、食べると寝てしまう。
どうしても、寝てしまう。
からだ中の血液が消化活動に使われて
他は足りなくなるせいじゃなかろうか
と、
自分の根性のなさは棚に上げ
勝手に貧血に責任転嫁。
とにかく食べると寝てしまう。
なら、寝ないためには食べるな、しかない。
と、とりあえず、きょうから
昼間は食べるのやめてます。
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スーパーの練り物コーナーで「江戸・魚すじ」なるものを発見。
おでんに入ってる、あの「すじ」ですか?
パッケージの裏を見ると、いろんなメニューにできると書いてある。
関西人であるワタシは、実は、おでんの「すじ」はあまり口に合わない。
でも、この「江戸すじ」は見るからに美味しそうなので買ってみた。
とりあえず、スライスして焼いてみる。
・ ・ ・ うまいじゃん。
魚も牛も、すじにはコラーゲンがいっぱいらしい。
きょうは、すじ・すじ、でお肌ぱっちり?

魚すじのポン酢炒め + ほうれん草のソテー
牛すじと人参とひじきの煮物
えのきと薄揚げのお味噌汁
お漬け物
蒲鉾よりもさらにコシがあって
モチモチ
1月も早や最終週。
初詣でにいって大吉ひいたことも、
波のない息づかいでいたい
と思ったことも、
もう忘れかけてる。。。
きょうは新月。
願いを胸に、思い新たに。
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さざえ堂から降りてバスを待っていたわたしはあせっていた。
バスの中でも走らんばかりにあせっていた。予定通り駅に着かないと、
喜多方への電車に間に合わない。乗り遅れると次の電車は1時間後だ。
幸い、バスはほぼ予定通りに到着した。ホームまで走る。
間に合ったぁ! ほっとしながら座席につくと、車掌のアナウンスが聞こえた。
「この電車の発車は、遅れている郡山からの電車の到着を待ってからとなります」
強風のため、郡山-会津若松間で速度制限がされているという。遅れは約30分。
エーっ! ただでさえ短かい喜多方での滞在時間がさらに減る。
しかも、ここで遅れているということは、今後の電車も全部遅れていくということでは?
それじゃぁ、予定がたたないじゃん! こまったなあ。。。
でも、ものは考えよう。どうせ1時間に1本しかない電車。
多少遅れても、1本あとの電車に乗ったと思えば同じこと。
きょうのうちに帰り着けばいいわけだし。
そう決めたら、あせる気持ちも落ち着いた。
ゆったりとラーメン食べて帰ろうぜ!
喜多方の駅前もやはり静まりかえっていた。
こんな日に外を歩く人などいない。
それでも、わたしは歩かなければならない!
やっぱり、ラーメンだけでは帰れない!
気持ちを奮い立たせ、ひとり歩き始める。

なぜか、駅前の大きな通りに雪がない。見ると、通りの中心線から水が出ていた。雪国では道路の雪をとかすために水を流すとは聞いていたが、実物を見るのは初めて。会津若松では気がつかなかったなあ。
夏になったら東京でもこうすればいいのに、と思う。ヒートアイランド現象抑止に絶大なる効果があると思うんだけど。。。
ダメですかね。
喜多方はラーメンだけでなく蔵の町としても有名だ。
酒造りや醤油造りの店も多く、町のあちこちに古い
店構えの建物が見える。
雪の降り積もった路地を、時には猛烈に風の吹く中を、
ひたすら歩き回る。
ほとんど執念。

ひと通り町を見てまわって、
いよいよラーメン。
伺ったのは、こちらのお店。
中に入るとお客でいっぱい。
競合有名店がいくつか定休日
なので、そちらの客もまわって
きているのかもしれないが、
かなり人気者のようす。
後から後から客が入ってくる。
外はあんなに静かだというのに
この人たちはいったいどこから
湧いてくるのか?
出てきたラーメンはこちら。普通の「中華そば」。
「チャーシューメン」を注文している人も多かった。
確かに、チャーシューはうまい、かも。
わたしはラーメン通ではないので味の評価はできない。するつもりもない。
東京に住んでいれば、今やラーメンに限らずどんな味でも食べることができる。
喜多方だって、尾道だって、博多だって、札幌だって、なんでもござれだ。
わざわざ喜多方まで来なくても、喜多方ラーメンは食べられる。
とりあえず、それがわかった。ご当地ものは、もう現地に行かなくても手に入る。
それがなんだかちょっと淋しいかなあ、という味がした。
予定通りの時刻に駅に行くと10分遅れで電車が出るという。
はたしてダイヤ回復か?とも思ったが、会津若松に着いたら、次の電車は
やっぱり1時間後だった。仕方がないので、駅の構内をぷらぷらしていたら、
一軒の蕎麦屋に「揚げまんじゅう」の文字を見つける。朝の武家屋敷でも、
「会津名物・天ぷらまんじゅう、略して天まん!」という看板を目にした。
「天まん」って、何? 時間つぶしも兼ねて入ってみることにした。
こちらが、その「天ぷらまんじゅう」。
文字通り、まんじゅうが天ぷらに!
なんですが、これが意外とうまい。
中は何の変哲もないまんじゅう。
でも、外の衣がかりっとしていて
すこぶる美味しい。
「お持ち帰りもあります」とあったので
思わず買いそうになったが、冷めた
衣を想像したら怖くなったので、
思いとどまる。でも、ほんと言うと、
また食べたい。
1時間遅れで到着した郡山で、さらに1時間待つことになった。
青春18きっぷのいいところは、こういうとき改札を自由に出入りできること。
暖かい駅ビルの中をうろうろ歩く。郡山の駅ビルはかなりの充実ぶりだ。
どこからかプーンといい匂いがしてきた。ワッフルの店だ。ガラスケースの
中を見ると、モンブランにラムレーズン、ベルギーチョコにクリームチーズ。
その他にもクリームの種類がいっぱいあって、楽しそう。目が離れない。
今回の旅も、「天まん」あたりでかなり「B級グルメの旅」くさくなっていた。
ここまで来たら、それに徹しようじゃないの!
で、悩みに悩んで買ったのが、こちら。
かぼちゃと生クリーム。(家に帰ってから食べました)
さて、そうなれば宇都宮でやることは決まった。そう、ギョーザ。
宇都宮だって、もう二度と来ることはないかもしれないんだから。
さすがに宇都宮だけあって、改札を出てすぐの駅ビルの中に餃子店が並んでいた。
ラーメン同様、うまい餃子なんか今やどこにでもある。でも、ご当地グルメのいいところは、どこでも、気楽に、思いついたらすぐに食べられ、しかも競争の激しさゆえに確かに味が底上げされるということなのだ。
今や「お取り寄せ」で何でも手に入る時代。
でも、思いたったら3軒隣りにいつも思い通りの味がある。
その方がうれしいかな、って思う。
さてさて、プチ鉄子の温泉の旅もこれにて終わり。
長いような短いような、やっぱり長いような2日間だった。
もう1日早く出ていれば、両日とも大快晴だったのかもしれないが、
ふだんなかなか見れない大雪が見れたのだから、ここはやっぱり、
これでいいのだ!
で、納得の旅。 お・わ・り
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その日、予定ではもう宇都宮についているはずの時間、
わたしはまだ郡山で電車を待っていた。理由は、吹雪。
2日目の朝、起きると雪が降っていた。きのうの夜、能舞
台を見ていた時に降り始めた雪は一晩中降り続いていた
らしい。目覚めのひと風呂を浴びようと部屋を出ると、表は
雪に埋もれていた。それでも、わたしは風呂から上がった
あと、無謀にも朝の散歩に出かけた。
雪はさらに激しくなっていた。雪だけではなく風も強い。傘をさしていても、すぐにからだが雪まみれになる。視界は傘にふさがれ回りの景色を見ることもできない。写真を撮りたくてもそれができない。それでも、温泉街の造りがどうなっているのか確かめたくて、意地のように前に進んだ。 景色はたいして変わらない。川と反対側の斜面には人家がへばりつくように建っている。このあたりの人たちはみな旅館業にたずさわっているのだろうか。それとも町へ通勤しているのだろうか。夢路の碑までやって来た。半分ほどは来たらしい。そこで人家が途切れた。何とか前方を見ると、道は向こうの方で曲がっていて、その先が見えない。ここらが限界と見定めて引き返すことにした。
さっき入ったばかりの湯にもう一度つかる。芯まで冷えて
いたからだが緩む。そのままずっとそうしていたかった。
いつまでも雪を見ながら温泉にひたっていたかった。
でも、旅とは「続けるもの」なのだ。
その日は朝のうちに会津若松をさらっと流し、それから喜多方へ行きたいと思っていた。まず、温泉のそばにある「会津武家屋敷」へ立ち寄る。ここは、もともとお城のそばにあった家老西郷頼母の屋敷を復元し、それを中心に会津の歴史と暮らしを伝える資料を集め展示している屋外型博物館だ。開園間もない時間なので(しかも、この雪!)、もちろん客は誰もいない。
西郷一族は戊辰戦争の際、頼母の妻や幼い娘たちを始め21人が自決している(なぜか頼母自身はそれに加わらず76歳まで生きのびているのだが)。資料館には、その自刃の様子が蝋人形で再現されていた。白装束に身をかためた母と娘たち。あまりのリアルさにちょっとコワイ。それから、冬場にかぎり開放されているという家老屋敷の中に入る。急ぎ足でまわっていたら、掃除をしていたおばさんがいろいろ詳しく解説をしてくれた。この施設の建設は、会津や地元出身の財界人たちからの多くの寄付によって実現したらしい。
白虎隊命!の会津人にとって、ここは特別な場所なのだろう。
雪は降り続けている。こんな日に観光する人などたぶん
いない。でも、わたしにはもう一ヶ所どうしても行っておき
たい場所があった。それは、白虎隊の墓で有名な飯盛山
にある「さざえ堂」。
バスを降りると、そこに飯盛山へ登る階段がある、はず
だった。だが、その階段は完全に雪に埋もれていた。
それでも、「さざえ堂」だけは絶対に行かなくてはならない!
わたしは決死の思いで、手すりをたよりに深く雪に埋もれ
た斜面を登り始めた。八甲田山死の彷徨だ。その斜面は、
階段を登ることができない人のためにエスカレーターまで
用意されているというほど急なのだ。下から見ている人は
「なんとアホな」と思ったことだろう。確かにわたしはアホ
だった。なぜなら、階段以外にもうひとつ登るすべがあった
のだ。ほぼ登りきってふと脇を見ると、「さざえ堂はこちら。
階段なしで下りれます」と書いた看板があるではないか!
それを先に言ってくれ。。。
こちらがそのさざえ堂。
200年ほど前に建てられたもので、元々は中に三十三体の観音像が安置され、ここをお参りすることにより一度に三十三観音参りができるというアイデアで作られたものだった。
二重のらせん構造になっているため、上る者と下る者が途中で顔を合わせることなく移動できるという、日本でもめずらしいユニークな建物だ。
こういうものは、絶対外から見ても分からない。実際体験しなければ意味がない。わたしが八甲田山死の彷徨をしてまでここに登ってきたのは、そういうワケなのだ。
ここが入り口
上り始め
中心はこんな感じ
そろそろ頂上
右が上リ、左が下り
同じように下って
出口へ
さざえ堂の向こうに、確かに しかも、こっちは階段も
階段なしで下れる道があった ちゃんと「階段」だし。。。
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「歳の神」を後にして温泉街へ戻る。
宿を通りすぎてさらに坂道を登っていくと、小さな三叉路が見えてきた。
川の流れる音だけの静けさの中、電灯の明りが雪を照らしている。
二股に分かれた道の間に、酒屋、駄菓子屋など何軒かの店が並んでいた。
実は、もう少し先へ行くと、そこには小さな射的場とストリップ劇場もある。
ここはまさに温泉地の正当をいっているのだ。
右側の道を下りていくと川べりに出た。
橋の向こうにりっぱな建物が見える。旅館らしい。
こんな宿にひとりで泊まれるような肝のすわった人間になりたい。
いつもそう思うが、実際なれるのはいつのことか。
実は、会津に来て初めて知ったことがある。会津では、
あのソースカツ丼が「伝統食」らしいのだ。町の中でも
ソースカツ丼の文字をたくさん見かけた。ソースカツ丼と
言えば福井と思っていたが、日本にはソースカツ丼発祥
の地を謳う場所が他にもいくつかあるらしい。ソースカツ
丼が生まれるきっかけというのはいったい何なのだろう。
せっかくなので、その日の夕食にはソースカツ丼をいた
だくことにした。三叉路のそばにあった小さな食堂へ
入る。川の見える小上がりで待っていたら、しばらくして
店のおやじさんが大きな丼を運んできた。
どうです、このボリューム。
カツが大きくて丼の蓋が
しまらないほど。
ガツガツいったが、さすがに
最後はスローペースに。
ため息つきながらカツは完食。
でも、ご飯は残してしまった。
ごめんなさい!
お腹がいっぱいになったところで宿に戻り、冷え切った
からだをもう一度温泉でゆっくりと暖めた。
その後、9時からはラウンジの対岸に建てられた能舞台
で温泉芸妓が日本舞踊を舞うというので行ってみた。
まずは舞台にスクリーンが下りてきて、行基上人が温泉を
見つけた話をおばあちゃんが『日本昔ばなし』ふうに語って
くれた。他に白虎隊の物語なんかもあった。
そして、いよいよ芸妓の舞い。それは素人目にも年季の
入ったプロの技だった。と、次に男性が登場。これがどうし
ても、さっきビールをふるまってくれたおじさんに見えて仕方
がない。「芸妓の舞い」と言いながら、このおやじはなに?
しかも、芸妓さんと同じくらい何度も登場する。もしかして、
この人は実はこの宿のご主人で、自分が踊りたいがために
サービスと称し、これを毎晩催しているのではなかろうか。
この後も、またどこかですれ違わないかと、本館に来る
たびにきょろきょろしてみたが、愛想のよいあのおじさん
にはもう二度と会うことはなかった。
さて、思っていたことの内のいくつもできなかったが、
それでも大満足だった1日がふけていく。
さっ、部屋に戻って寝よ。
<つづく>
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きょうは青春18きっぷ使用期限の最終日。
最後の1日分を使って、千葉は佐原へ行ってきました。
佐原は伊能忠敬ゆかりの地。
伊能忠敬は江戸時代に日本で始めて実測による地図を作った人ですが、実は地図作りのための本格的な勉強を始めたのは50歳になってからでした。それまでの忠敬は、婿養子として迎えられた伊能家の家業を再建するという責務を負っていたからです。その責任を充分に果した忠敬は、「人間、本当にしたいと思っていることをせないかん」と言って暦学の勉強をしに江戸に出てゆき、その後、歴史に残る偉業をなしとげたのでした。
なんだか、かっこいいじゃないですか。
ちょっと憧れてたんですよね、昔から。
佐原はほかにも水郷の町として知られ、伊能忠敬の旧家を中心に川沿いに残された古い町並みが観光客を集めています。それ以外にも、古い建物は町中にたくさんあって、なかなか風情のあるところでした。駅から歩いてするっと回れてしまうので、きょうはお散歩気分でのんびり。伊能忠敬記念館も山車会館も、じっくり時間をかけて見学しました。

それでも時間が余ったので、ついでに成田山新勝寺にもお参りに行きました。初めて行ったのですが、想像していたよりはずい分小さかった。でも、参道は歴史を感じさせる建物も多く、こちらも風情があってよかったです。外人さん連れてくると喜びそうだな、なんて、もうそんな機会もなさそうだけど。。。
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きょうは定期検査の日。CTをとった。
画像を見ながら主治医がひと言。
「胆のうが“のっぺり”してますね」
のっぺり?
その後も先生は「のっぺり」を連発。
せ、せんせい。その「のっぺり」って何?
「のっぺり」とは、要は「弛緩」していることを言うらしい。
だらっとしているというか、動きが鈍いというか。
それにしても、あたり前のように説明を「のっぺり」で
始めたということは、「のっぺり」はもしかして
れっきとした医学用語だったりして?
「のっぺりしているからといって何がどうというわけでも。
胆のうがのっぺりしてると石ができやすいんですけど、
まあ、できてもあんまり痛みは感じないと思いますし。。。」
なんだか変な慰め方で治療の不要を説く主治医。
今回も貧血は赤信号が出た。しかし、ここでも
「値が前回と変わらないということは、それなりに安定しているということで。。。」
と、またしても治療の不要を説く主治医。
こういうところが好きなんです、この先生。
さらに、「貧血はなるべくなら薬ではなくて自助努力でいきたいです」と
ワタシが言うと、うれしそうにウンウンと頷いた。
治療しないからいいってわけではない。薬を出さないからいいってわけでもない。
この先生から治療をしなさいと言われたら、ワタシは何も言わずに従う、と思う。
つまりは、何を大切するかという押さえどころが同じだということだ。
そういう主治医に出会えたワタシは幸運だと思うし、
そういう医者を選んだワタシはエラいと思う。
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東山温泉は会津若松市内にある。あちこち寄り道をしなが
らとろとろ走るバスを使っても、鶴ケ城から10分か15分の
道のりだ。とは言ってもそこは、今から千三百年前、かの
名僧・行基上人によって発見され、その後小原庄助さんも
浸かったという由緒正しき温泉なのだ。
それまで広々としていた道が急に細い登り坂になったあたり
でバスは止まった。市内を循環するバスはそこで方向転換し
街に戻っていく。バスを降りたわたしは、その日お世話になる
宿に向かった。
東山温泉は、川とそれに平行に
走る細い道路に沿って何軒かの
宿屋が並ぶ、こじんまりとした静か
な温泉地だ。その日の宿はその
温泉街の入り口に立っていた。
表玄関の横手から川を望むと、
建物から立ち昇る湯気が山肌をなで、
いかにも温泉地らしい風情だ。
湯に入るのがますます楽しみになる。
実は、わたしが実際に泊まるのは
この建物ではない。歩いて2分ほどの
ところにある小さなアパートだ。そこは、
この宿の経営するいわば「ビジネスホ
テル」で、かなりリーズナブルな料金で
宿泊することができる。しかも、大浴場
などの設備は本館のものが利用できる。
つまり、温泉入り放題。
部屋に荷物をおいて、さっそく
風呂へ。この時期の平日のこと、
客はあまり多くないだろうとふん
でいたが、予想通りだれもいない。
実際、全部で4回温泉に入ったが、
ほとんど貸切状態だった。
贅沢なことだ。
目の前を先ほどの川が流れる。
雪をかぶった木々を眺め、川の流れる音を聞きながら、ひとり湯につかる。
これだけで、ここまでやって来た甲斐があったというものだ。
このまま帰っても大満足だ、と思う。
湯上りにサービスがあるというので、ラウンジに行って
ヨーグルトをいただいた。すると、カウンターのおじさんが、
ビールもお出しできますよ、と声を掛けて下さった。せっか
くなので、そちらもいただく。おつまみにポップコーンまで
付いてきた。湯上りのビール、ひさしぶりだ。湯上りの
ビールにまさるビールはない。
飲みながら、カウンターのおじさんと「宿の人」対「泊まる人」
のひと通りの会話をかわす。会津地方も最近は雪が少な
くなってきたらしい。「でも、会津は四季のはっきりした、いい
ところなんですよ」とおじさんが自慢する。はっきりした四季・・・
今のような雪のシーズンにやってくる旅人にとって、会津の
夏は四季の中でも付け足しのように思えてしまうが、考えて
みれば東京からもそう離れているわけではない。同じ日本の
中、ここにも夏はしっかり夏としてあるのだ。
その日は偶然、地元の年中行事「歳の神」の日だった。
「歳の神」とは、松飾りやしめ縄などを燃やす「どんど焼き」
のようなものだ。会場は温泉街の共同駐車場。来る途中、
バスの窓から見えた「歳の神」は思ったよりも大きくてりっぱ
だった。その話をおじさんにすると、「歳の神」の火でからだ
を暖めると風邪を引かない、と教えてくれた。
坂を少し下って駐車場まで行ってみると、ちょうど点火前の
セレモニーが始まったところだった。結構な人数が集まって
いる。町のお偉いさんの挨拶の後、いよいよ点火。竹で組ま
れた骨組みに、しめ縄やダルマなどいろんなものが結わえ
付けられている。まるで、ひとつのオブジェのように美しい。
燃やしてしまうのが惜しいくらいだ。
火はまたたく間に燃え上がった。勢いはどんどん大きくなる。
何かが爆ぜて、爆竹のような音が飛び、火の粉が舞う。
火は浄化と再生のエレメント。古いものを焼き尽くす中から
新たな命が生まれる。ふだん目にするのは、コンロやライター
といった人工的な火ばかりなので、こういう本物の火を見る
と、その本来の力を思い出す。いつまでも離れがたい。

何か竿のようなものを火の中に差し出す人がいる。見ると
竿の先にあるのは餅とスルメだ。焼いて食べるのだ。中には
餅をはさんだ網を棒の先にぶら下げて挑んでいる若者もいる。
でも火の勢いが強すぎて、みんな、なかなかうまくいかない。
表を暖め裏を暖め、からだを何度も
回していると、主催者がスピーカーから
呼びかける声が耳に入ってきた。「抽選
券はひとり一枚。本部テントで配布して
おります」 どうやらくじ引きがあるらしい。
通りすがりの旅人も参加する権利がある
のかしら? だが、さすがにそれは遠慮
した。でも、「甘酒の振る舞いもあります」
には、すかさず反応する。
この甘酒、ひと口飲んで、その旨さに
思わず唸った。特に甘酒通というわけでは
ないが、これは今まで飲んだ甘酒の中で
最高の美味しさだった。あまりの旨さに
もう一杯振る舞ってもらえないか交渉しに
行こうとしたほどだ。今でも、そうしておけば
よかったと後悔している。
火が落ち着いてきた頃、臨時にしつらえられた舞台で
和太鼓の演奏が始まった。曲目は民謡「会津磐梯山」。
太鼓は楽器の中でも最もプリミティブものだと思う。
何かを叩くことにより生み出される音は、たぶん母親
の胎内で聞く心臓の音を思い起こさせるのだと思う。
そして、自分の中で営々と脈打つ鼓動と呼応し
秘められた力を表に引き出してくれるのだと思う。
地元の若者たちが打ち鳴らす太鼓の音は「歳の神」の
バトンの受け渡しを賑やかにはやし立てていた。
神様もさぞかし楽しんだことだろう。
さて、そろそろ夕飯でも食べようか。
地元の人たちがまだまだ集まってくる会場を後にして
ひとり温泉街へと戻った。
<つづく>
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鉄子の旅は本来電車に乗ることが目的だから、たどり
着いた先ではたいていあまり時間がない。なので、その
限られた時間内で観光スポットをいくつか回ろうと欲張ると、
いつも「足」が問題となる。会津も車社会だから、電車も
バスもあまり頼りにできない。本当はもうひと駅先の七日
町を起点にしたかったのだが、会津若松から南にのびる
只見線の電車は出たばかり。次は50分後。仕方なく、
改札をぬけ、歩き出す。
街は中途半端に雪に覆われ、歩道は融けかけた雪で
歩きにくい。車も人もほとんどいない。静かだ。時折り、
カラフルな色の特大プラスチック製スコップで家の前の
雪を車道に掻き出している人がいる。雪を見て奇麗だ
とか厄介だとか言うのは気楽なものだ。
あぶなげない足取りで七日町
方面に向かって15分ほど行く
と、「野口英世青春通り」という
ところに出た。あの野口英世
が青春時代をすごした場所だ
という。通りの途中には、野口
英世が火傷の手術を受け、
医学を志すきっかっけとなった
「会陽医院」の建物が残され
ている。現在では、一階が
レトロな喫茶店、二階は野口
英世の資料館になっている。
時間のない私は先を急ぐ。「野口英世青春通り」をすぎ、
角をまがったあたりで、屋根に風変わりな看板を見つけた。
絵ろうそくの店だ。会津は漆塗りが有名だが、この絵ろう
そくも元々は漆の実からとった蝋で作っていたという。
今はハゼ蝋を使うらしい。和紙とい草で巻いた芯に何度も
何度も蝋をくぐらせて作ったろうそくに、ひとつひとつ手で
絵を描いていく。根気のいる作業だ。会津塗りではなかなか
手が出そうにないが、できるものなら絵ろうそくは来訪記念
に買い求めておきたいと思っていた。
引き戸を開けて中へ入ると、薄暗い
店内に無造作に商品が並んでいる。
ひと通り目を走らせると、燭台に立て
られた一本の古そうなろうそくがガラス
ケースの上に置かれていた。見本には
違いない。でも、その少しくすんだ色加
減がひどく気に入った。お店のご主人
に「これは売り物ではないのですか」と
尋ねたら、手にとって確かめてから
「だめだね。ひびいってるから」と断られた。
「火をつけなければ問題ないのでは?」と
食い下がってみたが、「だめ」。それから
ご主人は、だれに言うでもなく「売り物以外は置くなって言ってるのに・・・」
とつぶやいた。売れるものなら売ってしまおうという商売人根性のない
ところが、やはり職人かたぎと言うべきか。
仕方なく、それに似た新品を買って店を出る。
創業は江戸時代という小澤ろうそく店。
この建物も明治時代のものらしい。
鶴ケ城をめざして歩いているあいだに、少し小腹がすいてきた。
大きな交差点で信号を待っていると、「薄皮たい焼き」という旗が見える。
「薄皮」という言葉に惹かれてつい店に入ったが、次々にお客さんが入って
きてなかなかの繁盛ぶりだ。小倉あんを頼むと、ちょっとお時間かかります
と言われた。変わりに「豆乳クリーム」を注文。
サイズはちょっとミニ。でも、
跳ねたような、この威勢のいい姿が
なんともユーモラスでかわいい。
確かに皮は薄く、どっしり感がなくて
食べやすい。
それよりもなによりも
豆乳クリームが軽やかでいい。
カスタードほどベタついてなくて
和と洋のほどよい混ざり具合。
また食べたい!と思う。
この「たい夢」というお店。
帰って調べたら全国チェーンだった。
保谷にもあるらしい。
たい焼きひとつのために
自転車で飛ばすか?
鶴ケ城の入り口へたどり着く頃には、すでに1時間近くも
歩いていた。ここから宿へ行くにはどうしてもバスをつか
まえなくてはならないが、その30分に1度しかやってこない
バスはちょうど出たばかりだった。お城の見学を30分で切
り上げるか、じっくり1時間を費やすか、冷え切ったからだに
相談したら、温泉の湯気に軍配が上がった。それに、空が
明るいうちに入る温泉は、まったくもって格別なのだ。
鶴ケ城には悪いが、顔だけ拝んでいくことにした。
無料で入れるぎりぎりまで近づくと、そこには予想以上に
りっぱな姿があった。ふだん城というものには何の興味も
持っていないくせに、いざ近くまで来て見るといつも、背筋
をしゃんと伸ばしてきちんと挨拶しなくてはいけない、そん
な気になってしまう。現在の天守閣は昭和になって再建さ
れたものだが、それでもその威風堂々ぶりは見るものの
心を正す。
さて、いよいよ宿へ。
向かうは、会津の奥座敷・東山温泉。
とは言っても、ここからバスでほんのわずかなんだが。。。
<つづく>
表面が薄っすら凍るお堀。
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恒例(にするつもりか?)の、帰省に使った青春18きっぷの残りを活用して
小旅行にでる「プチ鉄子、おまけの旅」。その第2弾!
今回は、ちょっと奮発して1泊旅行に行きました。目的地は会津。
題して、『プチ鉄子、温泉へ行く』
行程は、
吉祥寺→新宿→大宮→宇都宮→黒磯→郡山→会津若松
片道5時間半(予定)
前日、旅の行程を半日がかりで練ったにも関わらず、
京浜東北線での事故のため大宮でさっそく足止めをくらう。
快速は運休で次の電車も小金井止まり。宇都宮までが
なかなか届かない。でも、青春18きっぷの旅に
あせりは禁物。足枷がとれて却って自由になれたと
思えばそれもそれなり、と思う。
郡山を1時間遅れで出発。会津若松へも1時間遅れの
到着になりそうだ。本当は、初日そこからさらに電車を
乗り継ぎ喜多方まで行くつもりにしていたが、予定を変
更し、先に会津若松をまわることにする。
そう決めて窓の外を見ると、そこは雪景色。
田んぼを覆う真っさらな雪がまぶしい。
東京でも雪を見ることはなくもないが、降ってもすぐに
汚れてしまう。誰の足跡もついていないその雪に向かって
飛び込みたいという衝動に駆られる。
雪の向こうを山並みが囲む。山はそこに在るだけで力だ。
いつもそれが不思議だ。人は悠久の昔から山に神を見て
きた。わたしは、確かにその人たちの子孫だ。
きょうは時間がないので、ここまで。
続きはまたあした。
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きょうは、お出掛け前の整理です。
青梗菜は、冷凍室で眠っていたイカと合わせてオイル煮に。
オリーブオイルと塩だけでこんなに美味しくなるなんて!
とエラく感動したけど、これとスパゲッティをいっしょにしたら
つまり、ふつうにパスタじゃん。 アララ、そういうこと?
山芋と三つ葉は、合わせてとろろ汁に。
火を入れたところに、さっと卵をひと混ぜ。
あったかくなって、しかもボリュームアップ。うれしい。

イカと青梗菜のオイル煮
三つ葉のあったかとろろ汁
大根のお味噌汁
お漬け物
あしたから1泊でお出掛けの予定。
その行程を練るのに半日を費やす。
行くからには元とろうって、その魂胆が
ちょっと嫌らしい。
計算できる出会いは安全パイ、だけど
それは自分の感性を信じてない
ってこと?
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人のからだは本来健康であるように出来ている。だが、万物はすべからく変化を伴うものだから、つねに健康であり続けるということはない。たとえば東洋医学が陰と陽を説くように、からだのバランスはちょっとしたことですぐに崩れ不健康な状態に陥る。でも、健康であるのが本来の姿だから、目盛りが不健康な方に振れると必ずそれを本来あるべき場所に戻そうとする力が働く。それが人間が生まれながらにして持っている治癒力というものなのだ。不健康である状態は避けられるに越したことはないが、皆無というわけにはいかない。つねに、健康と不健康の山と谷を行きつ戻りつしながら、なんとか、からだとこころに折り合いをつけて生きていくのが人間なのだ。この宇宙にあるすべてのものはバランスのもとに成り立っていて、健康があればそこには必ず不健康もある。そしてそれは、朝と夜が繰り返すように、必ず交互にやってくるのだ。
と、いうようなことが書いてある本を読んだ。
で、ふと思った。もしかしたら、幸せと不幸せも同じかもしれない。
幸せも不幸せもバランスのもとに成り立っている。
誰かが幸せで、別の誰かが不幸せ、というバランスは困るけど
世界のある場所が幸せで、そのお隣は不幸せ、というのは困るけど
ワタシというひとりの存在の中でバランスをとっているんだとしたら。
幸せがあれば必ずそこには不幸せもあって、幸せと不幸せの山と谷を
行きつ戻りつしながら、なんとか生きていくのが人間なのだとしたら。
そんなことは、本当はずっと前から分かっているけど、でも
こんなふうに言葉にすると、がっかりな日もちょっと軽くなるような。
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またまたスーパーで牛すじを発見。さっそく購入。
きょうはコンニャクといっしょに煮込んでみました。
途中で何度も煮汁がなくなって焦げつきそうになったけど
かまわずどんどん煮続けたら、エラくちゃんと仕上がった。
煮込みってやっぱり、とことんで勝負、なんですね。
どんぶり(実はカフェオレボール)に入っているのは
茶碗蒸し、のようなそうでないような。
食感がいいかと思って山芋のコロコロ入れました。
ついでに残ってたお豆腐もつぶして入れたら水が出てしまった。
何でも入れりゃあいいってもんでもないようで。。。

牛すじとコンニャクの煮込み
豆腐と山芋の茶碗蒸し
つみれのお味噌汁
お漬け物
今年こそは、波のない毎日を
送れるようにと思っていたのに
さっそく今朝はメゲそうになった。
でも、ぐっと我慢で、なんとか復活。
うれしいことや、がっかりなことや
毎日いろいろあるけれど
それとは別に淡々と
真っすぐな線が引ける息づかいを
していたい、いつも。
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きのう翻訳の教室へ行って、またやってしまった!と思った。ほかの人の訳を読み、自分の訳を読み、そして気がついたのだ。
ワタシは、「読んだまま」を書いている。翻訳者ではなく、一読者になっている。
文章を読んでいるとき頭の中では文字は並ばない。言葉さえ並ばない。そこにあるのはイメージだ。イメージといっても、多くの場合は「画像」ではなく、いわば「概念」のようなもの。言葉に表される前のアイデア、「考え」とか「思い」とかいうもの。
それは人それぞれ微妙に違うはずだ。でも、たいていの場合、大筋では一致する。ときに大ハズレなこともあるだろう。だからといって、それが大問題に発展することはほとんどない。個人の頭の中で起こることに他人が口出しできるはずもなく、する必要もない。
翻訳をするものにとって、このイメージが浮かぶというのは大切なことだ。原文を読んでイメージが浮かばなければ話にならない。だから、読んでいく端からそれがきれいにイメージに変換されていくというのは喜ばしいことだ。でも、それはあくまでもそのイメージが原文にそっている場合だ。
いつも「正しく」イメージできるとは限らない。翻訳の場合、大ハズレは許されない。だから翻訳をする時は、「自分」という読者の立場から一歩離れて別の目を持つ必要がある。ほかの人ならどう読むか。ほかの人の頭にはどんなイメージが描かれうるのか。
これが、なかなか難しい。人はあくまでも自分であって、ほかの人になるのは楽ではない。翻訳者は多重人格。これからはしばらく、これをテーマに掲げておこう。
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二胡のレッスンのついでに
新宿花園神社に初詣でに行っておみくじを引いたら、『大吉』だった。
去年も同じ日に同じ場所でおみくじを引いて、やっぱり『大吉』だった。
去年『大吉』だったから今年は『小吉』くらいで御の字だ、
と殊勝に思っていたのが神様のお気に召したのかもしれない。
それにしても、二年連続『大吉』というのはすごいと思う。
ワタシの生涯でかつてこんな幸運はなかった。
雨の中行った甲斐があった。
歩きながら、ちょっとニンマリした。
ちなみに去年の「実績」は、
ほんとのところを言うと『中吉』くらいでした。
ただし、これはひとえにワタシの精進の足りなさ故で、
神様の勘違いではありません。
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あとどれくらい道を歩けば
人間はほんとうの人間になれるのだろう
あとどれくらい海を渡れば
白い鳩は砂に抱かれ安らかに眠れるのだろう
あとどれくらい飛ばし続ければ
人は爆弾を使うのをやめるようになるのだろう
そのこたえはね、ほら見てごらん
いまでも風に舞っている
いまでも、まだ風に舞っている
あとどれくらい山はそこにあるのだろう
水に削られすべてが海に流されるまで
あとどれくらいあの人たちは生きていられるだろう
自由がその手に与えられるまで
あとどれくらい人は顔をそむけるつもりだろう
ただ見えなかっただけさというふりをして
そのこたえはね、ほら見てごらん
いまでも風に舞っている
いまでも、まだ風に舞っている
あと何度見上げれば
そこに空を見れるようになるんだろう
あといくつ耳を持てば
人の泣く声が聞けるようになるんだろう
いったい、あとどれだけの死が必要だというんだろう
こんなにもたくさんの人が死んでいった
そのことに気づくのに
そのこたえはね、ほら見てごらん
いまでも風に舞っている
いまでも、まだ風に舞っている
そのこたえはね、ほら見てごらん
いまでも風に舞っている
いまでも、まだ風に舞っている
元になった歌:
Blowin' in the Wind by Bob Dylan
『風に吹かれて』 Blowin' in the Wind は
ボブ・ディランが1963年に発表した歌です。
新しい年の訪れに喜びを感じるはずの年末年始
世界では年を越して殺し合いが続いていました。
「こたえは風に舞っている」
半世紀近くたった今でも、この歌はなお現在形です。
そして、この歌が生まれるずっとずっと前から
この歌はいつも現在形でいました。
この先いつまで現在形であり続けるのでしょうか。
今年こそは1ミリでもいいから、皆の伸ばした手が
風の中で舞うこたえに近づきますように。
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