2009年7月
2009年7月31日 (金)
2009年7月30日 (木)
2009年7月28日 (火)
きょうのごはん、とtwitter
太りにくい食べ方は
「消化の悪そうなものをしっかり噛んで
ちびちび食べる」だそうです。
まずいご飯もダイエットにはいいかも?

鯵の竜田揚げ
茄子のひじき煮
小松菜とえのきのお味噌汁
最近やたら twitter なるものに出くわして
みんながみんな、いいように言うもんだから
どんなもんかいな、とチラっと覗いてはみるんだけど
どうもうまく乗れなくて早々に退散してしまうのは
やっぱりわたしがアナログ人間、ってことなんだろうか。
パソコン通信に始まって今までいろんな通信メディアが
生れては消えていったけど、 なかでもtwitter は
ツナガルのもツナガラレルのもお互いお構いなしで
それが「ゆるい」と称され歓迎されているらしい。
ツナガルのがご勝手なら
キレルのもご勝手、ということだろ?
たしかに、情報発信と交流の新しい形として
世界を変えるポテンシャルはあるのかもしれないけれど
今までさんざんツナガルことを目ざしてきたのに
ちっともツナガッテるように見えない人たちを見ていると
手の延ばし方が違ってるからじゃないのか?
と思ってしまうのは
やっぱりわたしがひねくれ者、だからだろうか。
2009年7月26日 (日)
2009年7月25日 (土)
きょうのごはん、とはまる
長芋の南蛮焼きは前も作ったけど
ホント旨いですよー。超オススメ。
片栗粉をはたいて焼いた表面が
きょうは事のほかカリっとして
ゾッコンです ♥

長芋の南蛮焼き
小松菜とマッシュルームのさっと煮
きのうの残りのナス
大根と油揚げのお味噌汁
You Tube って
むかし聞いた音楽をなつかしんだり
疲れたときに動物ネタで癒してもらったり
そういうのに役立つだけじゃ
なかったんですねぇ。
自分の部屋にいながらにして
世界中の学者さんたちの
いろんなレクチャーが聞けるんだ。
知らなんだー!
(っていうか、ワタシ遅れてる?!)
大学のオープンコースウェアもいいけど
グーグルのやってるこれなんかもお気に入り。
最近、はまってます。
2009年7月24日 (金)
きょうのごはん、と仮病
料理をするときは「待つ」という姿勢も
もちろん必要。でも、これがわたしには
なかなかむつかしく、揚物の油があった
まるのもなかなか待てなかったりする。
豆腐の団子は高温で揚げないと
油ばっかり吸ってびちゃびちゃになる
ときょう学んだ。

長芋コロコロ豆腐団子
蒸しナスの甘酢みょうが漬け
白菜の芯と油揚げのお味噌汁
けさの東京はどしゃ降りの雨。
あまりの雨足のスゴさに
二胡のレッスン、仮病で休もっかなあ
と一瞬思った。
ここんとこ練習もあまりしてないし
発表会で弾く曲の紹介文を書くように
言われていたのに、それもまだ未完成。
出せない理由を言い訳するのも面倒だしなぁ。。。
でも、さすがに
「宿題できてないから仮病で学校休む」
なんて小学生みたいなことは
おとなのわたしにはできない、でしょう。
出発1時間前になって
しぶしぶネットで発表曲について情報収集。
断片をいくつか適当に紙の上に並べたら
いっちょ出来上がりっ。
やってみたら、あっという間だった。
そしたら、雨もやんでいた。
で、レッスンに行って帰ってきて
ほっとひと息ついてたら
また外はどしゃ降り。
きょうのお天気は
どうやらわたしサイドだったみたい。
あっ、白状すると
「宿題できてないから仮病で学校休む」
なんて小学生みたいなことは
何年かに1度は大人になってからも
やってます。
2009年7月22日 (水)
2009年7月21日 (火)
きょうのごはん、とバンザイ
久しぶりに本物の豆腐を買った。
どうしても
豆腐チャンプルが食べたかったのだ!
で、もどき豆腐のかわりに
昼間ゼラチンで
ココナツババロアを作ったのに
そのまんま出かけてしまい
帰ってきてから冷蔵庫に入れたので
まだ固まらない。
食後のデザートに食べたかったのに
くやしいゾっ!

小松菜の豆腐チャンプル
さばみりん
白菜のお味噌汁
とうとう衆議院が解散しましたね。
たまたまライブ中継を見ていたら
解散詔書が読み上げられたあと
どの議員も一様に
「バンザイ」を叫んでました。
いろんな思い入れがあるにしろ
あるいは何の意味もないにしろ
素人から言わせてもらえば
この「バンザイ」は異様です。
議会を解散するということは
内容はともあれ議会に何らかの
問題があったということであり
また、議員からすれば
果すべき、あるいは果せたはずの
仕事半ばに職を失うということであり
決してだれもが一様に
「バンザイ」を言うような場面では
ないはず。
自分のとっている振る舞いに
こんなにも無自覚な人たちが
国を変えたりできるんだろうか。
あ~、コワっ。
2009年7月18日 (土)
2009年7月17日 (金)
きょうんのごはん、とスヌーズレン
きょうも“ささっと”で済まそう
と思ってたのに
冷蔵庫の中に鰹の残りを発見。
しっかり料理してしまったよ。

鰹の竜田揚げと蒸し茄子の
ぶっかけ麺
鍼が終わってから
橋をちょいっと渡って大崎へ。
アール・ブリュットの展覧会。
“アール・ブリュット”とは
既成の芸術観にしばられず
表現する衝動のみから生れた
芸術作品のこと。
多くは精神障害者のものです。
作品だから
気に入るのもあれば
気に入らないものもあるんだけど
“アール・ブリュット”って「肩書き」は
いったいなんなの?って思いました。
既成の枠から解放されているものに
何かしら名前をつけて「くくる」ことの
矛盾。
これはたぶん
「創る」側より、「観る」側のために
つけた名前、なんでしょうね。
「くくられて」いることへの
反抗、あるいは反省。
今回はむしろ
絵よりもこちらの方に興味津々。
“スヌーズレン”
「知的障害者のための感覚刺激空間」
らしいんですが、見たとたん目がらんらん。
とくに“バブルチューブ”という
水の泡が4色の光に照らし出されながら
透明のチューブの中をプクプクプクと
のぼっていくやつはいつまで見てても
見飽きない。
わたしの部屋もスヌーズレンにしたい
と思いました。
2009年7月16日 (木)
2009年7月15日 (水)
2009年7月14日 (火)
きょうのごはん、と汚れ
一見洋風のものでも
お味噌をちょっと足すと
コクが出るような気がします。
きょうのトマトにも。

白菜と豚肉のしゃぶ風
厚揚げのトマト煮
大根のお味噌汁
珈琲とか紅茶のカップって
ある日を境に急に汚れが
取れにくくなるってこと
ありません?
それまでは
さっとゆすぐ程度ですんだものが
ごしごし洗っても茶渋が取れない。
たぶん、小さな傷がだんだん
深さをましていって
ある時なんらかの限界点を越える。
食器だけじゃなくて
身の回りのものはそういうの多いですよね。
もしかしたら
人間もそうかもしれないなあ
と、ふと思いました。
ある日を境に
汚れの取れる限界点を
越えてしまう。
歳をとればとるほど頻繁に
磨いてなくちゃいけない
ってことかもしれないね。
2009年7月13日 (月)
きょうのごはん、と燃費
きょうは手抜き。
蕎麦やきそば、です。
キャベツとニンニクたっぷり!
二ヶ月ぶりの病院。きょうは血液検査とレントゲン。
診察室に入るなり、先生がわたしの顔を覗き込む。
な、なにか?
「いやー、また血が薄くなってるんで
皮膚が透けて見えてるんじゃないかと思って。。。」
「・ ・ ・」
貧血度がさらにアップしてしまったので
とうとう投薬を命じられてしまいました。
自助努力でなんとかしようと思っていたのに
残念。。。
「自覚症状は全然ないんだけど。。。
あっ、すごく眠いってのなら、ありますけど?」
「それは関係ないですね」
「・ ・ ・」
(つまり、単なる怠け者ってことか。。。)
「脈が速くなってませんか?」
先生はわたしの脈をとり始める。
血が少ないと、酸素をちゃんと供給するために
心臓がバクバクがんばるらしい。
心臓にとってはそれが大きな負担となる。
でも、先生ひとこと。
「あれぇ、ずいぶん遅いねぇ。
よっぽど酸素使ってないんだぁ」
「・ ・ ・」
確かにわたしは
毎朝目覚ましの音に怯えることもなければ
満員電車にもまれることもなければ
厭味な上司や間抜けな同僚にがまんする必要もないければ
ノルマや締め切りに追われることもない。
つまり、酸素を無駄に使う必要がないんです!
燃費がいい、って言ってくれません?
2009年7月12日 (日)
2009年7月11日 (土)
きょうのごはん、と呼吸
カレイって、旨いけれど
やっぱり骨が多くて、ちょっと食べにくい。
なんて、そういうところは
いつまでたっても子どもみたいで。。。

カレイの煮付け
キュウリのカレー炒め
玉葱としめじのお味噌汁
生命を維持するための身体の動きは
心臓にしたって脳にしたって、
放っておいても身体が勝手にやってくれるけれど
そのかわり自分でどうにかしたいと思っても
そうはいかない。
鼓動のリズムを変えたり考えるのをやめたりすることは
(少なくとも)ふつうの人間には自由にならない。
でも、呼吸は例外だ。
まったく意識していなくても(たとえば寝ているときでも)
身体の方でちゃんと休まずやってくれる一方で
その気になれば自分の意思でコントロールすることもできる。
それって、なぜなのかなあ。
きっと、そうする必要があるから、なんだろうなあ。
呼吸は、身体の維持に必要なのはもちろんだけど
実は人間のこころとも密接につながっている。
感情にストレスが発生したとき大きく息を吐くと
そのストレスは軽減される。
これは「ため息」というかたちで誰でも無意識にやっているよね。
緊張したときやショックを受けたときも深呼吸するといいし
カーッときたときもフーッと息を吐くとちょっと落ち着く。
私たちはふだん何気なく呼吸しているけれど
ほんとはもっと意識的に呼吸をコントロールした方がいい。
せっかく、そうできるように作ってもらっているんだから、ね。
2009年7月10日 (金)
きょうのごはん、と縁起
きょうは、赤・緑・黄の
色バランスがよろしい。
食べ物の場合、色のバランスは
中身のバランスにもつながるんじゃないか
と思います。
あっ、それって、食べ物だけじゃない、か。

竜田揚げの残りと人参・ニンニクの芽の南蛮漬け
きくらげと卵の炒め物
抹茶豆腐
大根のお味噌汁
心理学者の河合さんの本を読んでいたら
仏教の「縁起」について書いてあった。
「縁起」とは単なる時間的「因果」関係のことではなく
現象世界のあらゆる事物は互いに関係しあっていることで
存在している、という考え方ですね。
河合さんは、日本人はこの「縁起」の考え方に長く親しんでいるので
自分の「個別性」を大切にするためには (西洋人と違って)
他との関係の方に気を配る、と述べていた。
養老さんが、人間は本来「個性的」なのだから
むりやり「(自分の)個性を伸ばす」教育をするよりも
他人の個性を尊重することを教えるべきだ、と言っていたのは
こういうことだな、と思う。
他人の個性を否定する世界では
自分の個性は伸ばすどころか潰されるしかない。
自分を作るのは世界であり、世界を変えるのは自分だ。
自分を強く前面に出さないという日本人の慎ましやかさは
世界を変えていくときの、ひとつのあり方であるかもしれない。
2009年7月 9日 (木)
2009年7月 8日 (水)
2009年7月 7日 (火)
きょうのごはん、と名前
トマトのグリル。
ガーリックオイルに浸してから
パン粉をふりかける予定が
パン粉、品切れ!
仕方なく代わりに粉チーズをパラリ。
まあ、これは、これで。。。

しし唐と白菜の芯と豚こまのキムチタレ炒め
クリルトマト
ナスとニラのお味噌汁
そういえば、家で使う箸って
一人ひとり決まってたよね。
たとえ家族でも、自分のじゃないと
なんとなく気持ち悪い。
でも、だれのってわけじゃない箸だと
他人の使うやつでも平気ってこと、ない?
だから、自分のじゃないと気持ち悪い
ってのは決して清潔感とかそういうんじゃない。
日本では箸は祭祀のときに使われたのが始まり。
そもそもは神聖な儀式の道具だったから
日本人にとって箸はなにか特別な力を持ったもの
だったんじゃないのかなあ。
だから、「だれだれの」って名前がついた途端
その箸は特別な存在になる。
だから、「だれだれの」って名前がついた箸は
他の人には使えない。
名前がつくって、実はとっても怖いことなんだよ。
2009年7月 6日 (月)
きょうのごはん、と答
昼間たべたそうめんが少し残ったので
ししとうとトマトをオリーブオイルで
ぐちゃぐちゃ炒め煮したのと和えてみたら
結構これが、いけましたよ。

白菜と鶏ミンチの甘煮
ししとうのイタリアンにゅう麺
ひじき蒟蒻の残り
えのきと大根のお味噌汁
目は光をとらえて像を見る。耳は空気の振動をとらえて音を聞く。
当り前のように思ってるけど、これって結構ふしぎ。
目や耳などの感覚器官がとらえた刺激は
最終的には全部電気信号になって神経を伝わる。
光も音も味も臭いも何もかもが、脳の中では電気信号のバリエーション
(マイナスイオンとプラスイオンの量の差)でしかない。
なのに、私たちの「意識」上では、あるものは形になり、あるものは音になり、
あるものは臭いとして表現される。これって、なぜ?
電気信号の違いを電気信号の違いのまま認識しても反応はできるはず。
コンピュータの内部はそうやって動いているよね。
きっと、脳自体はそうやって働いているのだと思う。
でも、私たちの「意識」はそれでは働けない。
コンピュータが「0」と「1」の羅列を文字や絵や記号に変換してモニター上に
表現してくれなければ、私たちがその意味するところを理解するのにすごく
時間がかかるのと同じように、脳内の電気シグナルを具体的なイメージに
変換してもらわないと、「意識」は反応するのに時間がかかるんじゃないか。
だから脳は、形や音や臭いといった、いくつかにグループ分けされた
「感覚」を作り出し、反応のスピードアップをはかった。
その証拠に、脳が自分で判断しちゃうときには、
この「感覚」というイメージは作られない。
熱いものにさわったとき、熱い!と思うより先に手をひっこめてるよね。
(これにはあまり大脳は関与してないけど)
あるいは、自律神経が制御している体の中のいろんな動きは
私たちの意識にはのぼらない。
「意識」を使って判断しなけくちゃいけないときにだけ、
「感覚」というイメージが作られるんだ。
私たちが「見ている」と思っている像や、「聞いている」と思っている音は、
「意識」が効率よく「考える」ために脳が作り出したもので、
これが「クオリア」というものの正体なんじゃないか、と思う。
光が像を結ぶってことの意味、つまり「クオリア」とは、脳の省エネ対策、
ってのが、わたしの(いまのところの)答。
2009年7月 5日 (日)
2009年7月 4日 (土)
きょうのごはん、と質問
自分で言うのもなんですが
きょうのごはんは、ご馳走ですねえ。
ちょっと作り過ぎ、ちゃう?
鶏肉に小麦粉をまぶして焦げ目をつけ
それとキャベツとで、くたくた煮ました。
これ、バツグンに旨いです!

鶏肉とキャベツの煮込み
オクラとタコの胡麻和え
蒟蒻とひじきの煮物
青のり豆腐
大根とニラのお味噌汁
日食で三日月型になる木漏れ日のことを考えていたら
そもそも「見る」ってどういくこと?と頭が止まらなくなった。
どうして、一方向の光だけがとらえられると
そこには像が結ばれるのだろう。
だいたい、その「像」って、いったい何?
光とはさまざまな波長をもった電磁波であって
それが(しかもいわゆる「可視光」だけが)
なぜ「像」という「属性」をもちえるのか!
不思議、ですねえ。
あなたはなぜだと思います?
2009年7月 3日 (金)
きょうのごはん、と日食
タコって、あんまり火を入れると
固くなって美味しくないですよね。
・ ・ ・
だから余熱で、って言ったのに。。。

タコとズッキーニのバイジオイル煮
八宝菜
ニラのオムレツ
茄子と油揚げのお味噌汁
7月22日は日食ですね。
“関係者”のあいだではかなり興奮度が
高まってきているようですが
関東・関西あたりでも7・8割ほどは
欠けるそうですから、それなりに見もの?
小さな穴をあけた厚紙で影をつくると
影の中に映った光が
欠けた太陽の形になるそうです。
ヘーっ、知らなかった!
なぜ、なぜ、なぜ!?
いろいろ調べてみると
ふつうの空間では光はいろんな方向に
反射していて、それぞれが干渉するので
像にはならないけど、小さな穴を通すことで
ひとつの方向の光だけが取り込まれると
そこには像が結ばれるということらしいです。
つまるところ、人間もそうやって
外の世界を「見て」いるわけ。
小さな穴を通った光は太陽のごく一部しか
つかまえていないのかと思っていたけど
実は、そこには太陽のすべてがあった
ということなんだね。
自然って、やっぱり神秘的。
木漏れ日も三日月の形になるそうです。
それは見てみたい。。。
2009年7月 2日 (木)
きょうのごはん、とセレンディピティ
お約束?通り、きのうの胡瓜豆腐を
キュウリのムースに変身させました。
ソースの赤いのはキムチタレの残り。

キュウリのムースとタコのカルパッチョ風
オクラのカレーソテー
白菜の干しエビ煮
ナスのお味噌汁
「セレンディピティ」と聞くと、どうも「セレブ」
という言葉が浮かんで(単に音の連想から)
「わたしには縁のないもの」とすぐ脳みそが
判定をくだしたがる。
でも、「セレンディピティ」の意味が
単に「偶然に出会う幸運」ではなく
「原石のままのダイヤを見てダイヤと見抜く能力」
だとしたら
わたしにとってはやっぱり「セレブ」に近い、かも。
わき見をしているようでも
天使の囁きはしっかり聞こえる
そうでないとダイヤは発見できない
よね。
幸運は、ぼやっと待っていてもつかめない。
耳元で囁かれたとき
気づける訓練をしておかないと、ね。
2009年7月 1日 (水)
きょうのごはん、とワクワク
そんなこと言われても、見てる人には
何のことだかわからんでしょうが
きょうのごはんは、わたしとしては理想的。
量といい、味といい、内容といい。
少なめ、薄め、生姜たっぷり、ってこと。

茄子と豚肉の葱生姜炒め
小松菜のしらす煮びたし
大根とえのきのお味噌汁
久しぶりのエネルギー・トリートメント。
今回もまた
「まだ今のままでいいみたいですよ」
とお墨付きをいただいた。
人生の使命を全うするために
結構みんな、あーせいこーせいと
課題が課せられるらしいんだけど
わたしの場合は、
いいんだって。
つまり、ワークはせずにワクワクしろ、ってこと
みたい。
で、いろいろ話してて気がついたんだ。
わたしはもうずい分ながく生きてきたけど
こころが震えるってことあんまりしてこなかったなぁ
って。
今は、こころを震わす経験を蓄積しろ、ってこと
みたい。
たぶん。
ココログさんの調子が悪いのですよ。
さっき投稿したのにボツにされたのですよ。
だから日付をまたいでしまいました。





















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