« きょうのごはん、と何者? | トップページ | きょうのごはん、と名前 »

2009年7月 6日 (月)

きょうのごはん、と答

昼間たべたそうめんが少し残ったので
ししとうとトマトをオリーブオイルで
ぐちゃぐちゃ炒め煮したのと和えてみたら
結構これが、いけましたよ。

P1050260
白菜と鶏ミンチの甘煮
ししとうのイタリアンにゅう麺
ひじき蒟蒻の残り
えのきと大根のお味噌汁





   目は光をとらえて像を見る。耳は空気の振動をとらえて音を聞く。
   当り前のように思ってるけど、これって結構ふしぎ。

   目や耳などの感覚器官がとらえた刺激は
   最終的には全部電気信号になって神経を伝わる。
   光も音も味も臭いも何もかもが、脳の中では電気信号のバリエーション
   (マイナスイオンとプラスイオンの量の差)でしかない。
   なのに、私たちの「意識」上では、あるものは形になり、あるものは音になり、
   あるものは臭いとして表現される。これって、なぜ?

   電気信号の違いを電気信号の違いのまま認識しても反応はできるはず。
   コンピュータの内部はそうやって動いているよね。
   きっと、脳自体はそうやって働いているのだと思う。
   でも、私たちの「意識」はそれでは働けない。

   コンピュータが「0」と「1」の羅列を文字や絵や記号に変換してモニター上に
   表現してくれなければ、私たちがその意味するところを理解するのにすごく
   時間がかかるのと同じように、脳内の電気シグナルを具体的なイメージに
   変換してもらわないと、「意識」は反応するのに時間がかかるんじゃないか。
   だから脳は、形や音や臭いといった、いくつかにグループ分けされた
   「感覚」を作り出し、反応のスピードアップをはかった。

   その証拠に、脳が自分で判断しちゃうときには、
   この「感覚」というイメージは作られない。
   熱いものにさわったとき、熱い!と思うより先に手をひっこめてるよね。
   (これにはあまり大脳は関与してないけど)
   あるいは、自律神経が制御している体の中のいろんな動きは
   私たちの意識にはのぼらない。
   「意識」を使って判断しなけくちゃいけないときにだけ、
   「感覚」というイメージが作られるんだ。

   私たちが「見ている」と思っている像や、「聞いている」と思っている音は、
   「意識」が効率よく「考える」ために脳が作り出したもので、
   これが「クオリア」というものの正体なんじゃないか、と思う。
   光が像を結ぶってことの意味、つまり「クオリア」とは、脳の省エネ対策、
   ってのが、わたしの(いまのところの)答。

|

« きょうのごはん、と何者? | トップページ | きょうのごはん、と名前 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« きょうのごはん、と何者? | トップページ | きょうのごはん、と名前 »